2026年7月、日本維新の会が議員立法により「犬猫食禁止法」の制定を目指していることが報じられました(産経新聞・2026年7月9日)。犬猫を食べること、および食用目的での輸入・飼育を、刑罰をもって禁じる内容とされています。
法案はまだ国会に提出されていません。各党が賛否を決めるいまが、声を届けられる唯一の時期です。当会は反対署名を開始しました。署名はこちらから。
政府は国会答弁で、平成30年度以降、食用犬肉の輸入は確認されていないと述べています。規制を必要とする社会的事実が立証されないまま刑罰法規を新設することは、立法の基本原則に反します。
動物の虐待的な取り扱いは動物愛護管理法(44条)で処罰でき、不衛生な食肉の流通はと畜場法・食品衛生法で規制済みです。新法が守ろうとするものは何か。残るのは「多数派の感情」だけです。
犬猫を禁じる根拠が「愛玩動物だから」なら、馬は、鯨は、兎は、ジビエは。実際に米国は、馬を愛玩の対象とする世論を背景に馬の食用屠殺を事実上終わらせました。同じ論理が持ち込まれれば、熊本や信州の馬刺しが次の標的になります。
薩摩の「えのころ飯」は江戸期の文献に記録が残り、沖縄の「マヤーのウシル」は薬食同源思想に連なる食養生として近年まで実在しました。これは「日本にない文化の禁止」ではありません。この国の周縁にあった食文化を、多数派の感情で犯罪に変える法です。
商業捕鯨の再開を国際社会に主張してきた日本がこの法を持てば、反捕鯨国に最良の論拠を渡すことになります。
2026年7月、日本維新の会が議員立法により「犬猫食禁止法」の制定を目指していることが報じられました。犬猫を食べること、および食用目的での輸入・飼育を、刑罰をもって禁じる内容とされています。
何を食べ、何を食べないか。それは個人と各地の文化に委ねられてきた領分であり、国家が刑罰をもって立ち入るべき場所ではありません。私たちはこの原則に立ち、本法案に反対します。法案には、看過できない問題が少なくとも四つあります。
第一に、立法事実の不在。政府は国会答弁において、平成30年度以降、食用犬肉の輸入は確認されていないと述べています。規制を必要とする社会的事実が客観的に示されないまま刑罰法規を新設することは、立法の基本原則に反します。
第二に、現行法との重複。動物の虐待的な取り扱いは動物愛護管理法により、不衛生な食肉の流通はと畜場法および食品衛生法により、既に規制されています。新法が保護しようとする法益が何であるのか、明確な説明はなされていません。
第三に、線引きの恣意性。牛・豚・鶏・馬・羊・兎は食べてよく、犬・猫のみを刑罰をもって禁じる根拠は、突き詰めれば多数派の愛玩感情に行き着きます。感情を根拠とする食の刑罰化がひとたび先例となれば、鯨、イルカ、馬、兎、ジビエ——次に禁じられる食材に原理的な歯止めはありません。商業捕鯨の再開を国際社会に対して主張してきた日本が、国内で「感情的に受け入れがたい動物の食用禁止」を法制化すれば、捕鯨外交の足場を自ら崩すことにもなります。
第四に、食文化の歴史への無理解。沖縄には中国の薬食同源思想に連なる食養生の文化があり、犬猫の肉は「シンジムン」と呼ばれる養生の煎じ物として比較的近年まで用いられてきました。薩摩のえのころ飯は江戸期の文献に記録され、本土各地にも薬食いとしての犬肉食の記録が残ります。この法案は「日本に存在しない文化」を禁じるものではありません。この国に確かに存在した周縁の食文化を、多数派の感情によって刑罰の対象へと変えるものです。
何を食べるかは、本来、民の領分です。明治の肉食解禁以来、この国は食の選択を個人に委ねてきました。私たちは、この原則を守るため、調査研究と意見表明を通じて本問題を広く社会に問うべく、ここに「食文化と立法を考える会」を設立します。
2026年7月
食文化と立法を考える会 発起人一同
犬猫を食べることを勧める団体ですか。
私たちが問うているのは、何を食べるかを国家が刑罰で決めてよいのか、という一点です。食の選択は個人の自由に属します。それがどれほど少数の選択であっても、多数派の感情を根拠に犯罪化することに反対しています。
動物虐待を容認するのですか。
いいえ。虐待は現行の動物愛護管理法で処罰できますし、されるべきです。本法案の問題は、虐待の有無と無関係に「食べること」自体を犯罪とする点にあります。
なぜいま声を上げるのですか。
法案は提出前で、各党が態度を決める段階だからです。成立後に覆すことは、成立前に止めることの何倍も困難です。